私とYOSAKOIソーラン➃~大通りパレードの思い出
さて、仕事として、YOSAKOIソーランの会場運営を任された私なのですが・・・
当時のYOSAKOIソーラン祭りの広がりや勢いは、広告業界やメディアにも波及していき、
多い時では、北海道の民放各局、どこのチャンネルをつけてもYOSAKOIソーラン祭りの生中継が
行われているという今では、考えられない状況になっていました。
HTBさんでは、今や日本を代表する北海道の大スター、大泉洋さんが、中継を担当していたり。
そんな時代、私の会社では、イベントやスポンサーが主催する会場として、年々、YOSAKOIソーランの
会場運営の数が増えていき・・・最大8会場も担当する事に!!
と、なりますと、当然、組織委員会としても、多くの会場運営を担当する会社としての窓口である責任者を出してほしいとのオーダーがありました。(意思疎通の面でも、情報伝達の面でも)
私より以前からYOSAKOIソーランに関わっている先輩や上司は、もちろんいたのですが、
組織委員会や学生実行員会のメンバーと年齢の近い、扱いやすい若造として、ぴったりという事と、
ある程度イベントに対しての知識経験があるとうことで、私が選ばれました・・・。
あくまで、会社の担当者だったはずなのですが・・・、学生実行員の皆さんとも、組織委員会の皆さんとも、各種打合せや飲み会、お祭り会場などなどで、どっぷりと時間を共有することが多くなり、気が付くと、いつの間にか、「組織委員会の会場運営委員」となり、名刺を持たされていました・・・(笑)
当時は、組織委員会も社会人の人材は、不足していたこともあったと思います。
また、お祭りを広げて浸透させていく過程で、お祭りを作り上げてきた歴史や経緯を知っていることや、
それに対しての現状や課題、その課題解決に向けた取り組み、お祭りが目指す最終的な目標など、
作り上げている真っただ中の組織において、その意思の共有が出来る人たちが必要な時期でもありました。
もちろん、お祭り近くになりますと、たくさんの学生実行委員会OBOGの方の協力が得られたのですが、
事前の準備段階から関わることが出来る大人は限られていました。
実際、組織委員会のスタッフとなり、事務所にいると・・・
連日、沢山の方が集まり、打合せをしていました。
学生実行委員、協賛会社、広告会社、メディアの方々、設営関係の業者さん、長谷川さんの公演を聞いて集った方、単純なる長谷川さんのファンだったり(笑)、長谷川さんに巻き込まれた(笑)人だったり※いい意味でですよ!(笑)もちろん、各チームの方々、各会場運営の方々も。
更には、全国各地から、長谷川さんが、この人は祭りの今後に必要!と思われる人材や専門家も本当に沢山
集ってきました!
そんな普段はお会いできないような方々との刺激的な日々・・・。
本当に沢山の濃い人たちに囲まれて、数年間、組織委員会の一員として、お祭りの運営に関わらせてもらいました。
えっと・・・大通りパレードの話でしたね・・・苦笑
当時、大通りパレードを実現させることは、YOSAKOIソーラン祭りにとって、そして組織委員会にとっても最も重要な事でした。
高知から伝わった、流し踊り中心のお祭りを、札幌中心部でパレード(流し踊り)を実現出来なければ、
よさこいの魅力を伝えるには、不十分だったからです。
そして、街は舞台だ!をテーマに掲げる、YOSAKOIソーラン祭りにとって、西8丁目のメインステージ会場に次ぐ、札幌のYOSAKOIソーランでしかできない、札幌の中心部で『魅力をもつ会場を作ること』は
悲願でもありました。
が、しかし、市内中心部を交通規制で2日間も止めることなんて・・・以前もお話ししましたが
かなりのハードルの高さがありました・・・。
映画、踊る大捜査線で、織田裕二さんが演じる青島刑事が無線で、
「レインボーブリッジ封鎖できません!」と名台詞を言ったように(笑)市内の大動脈を、祭りであろうと交通規制をかけ、長時間止めることは、関係各所への根回しを含めて、本当に大変な事なのです・・・。
※この間、倭奏のメンバーに聞いたら、踊る大捜査線、知らない世代も今は多いらしい
・・・マジか!(苦笑)
・・・脱線しました・・・苦笑
長谷川さんや会場運営委員長の五十嵐さんが中心となり、様々な方の助言、協力を得て、
本当に、足しげく道警や関係各所に通い、色んな苦言、直言を受けながらも、なんとか、開催にたどり着くことができた大通りパレード。
当時、土曜のパレード開始時間に、南北大通りがパトカー先導のもと、交通規制で止まった時、
関係者一同、物凄い感動を覚えました。
「あんだけダメだと言われた、大通り、ホントに、止めちゃったよ・・・涙」と。
今でも、当時のメンバーが集まると、結構、涙目で、酒の肴になります(笑)
そんなこんなで、何とか止まった大通り(笑)では、実際のパレードをするチームは
どうだったでしょうか?
そもそもパレード踊りとは、どういうものか?
高知よさこい祭りを見ずに、YOSAKOIソーラン祭りに参加している道内のチームが大半の中
まずは、前進して踊るという事が、チームの皆さんには、理解が難しかったと思います。
参加者に配布しているガイダンスの資料で、
図とともに、4分半で100m(大通りの一丁目分)進んでください
と、書かれている、この文言だけでは、やはり具体的な演舞イメージが難しい。
先日、高知と北海道の違いという事を書いたときに、新琴似天舞龍神の小林特別代表から
「ソーランで、ステージが進化したのは、季節による練習環境も原因としてあるんだよ」と
教えてもらいました(笑)
確かに・・・冬から次年度の練習を始める北海道は、基本、雪のため外練習はできません。
室内の体育館などでの練習がほとんどで、体育館の中では、パレードを続けて踊ること
(全体を通してみること)は難しい。
※通しのパレード練習は雪が解けたGW後から、気温10度くらい中で始め、ほぼ一か月で仕上げます。
ステージであるならば、冬の間でも、体育館で、1曲、通して踊ってみることが可能なので、
早く仕上げることが出来、何回も見ていくうちに、よりよく見せようという考えが発達していく事は、
当然だったかもしれません。
各チームの事情として、そんなステージ演舞中心のソーランにおいて、ほぼ初めてのルールとして出てきた
前進する踊り=パレード演舞。
初期の大通りパレードでは、ほとんどのチームが、
今までステージで(その場で)踊っていたものを、前進させるという点で、
※高知は当たり前ですが、前進前提の踊りを作るそうです。
各チームや北海道の振付師の方々も非常に悩みました・・・その結果・・・
「今までの踊りで進めるとこは、進もう!」(笑)という結論に至ったチームがホントに多かった(涙)
運営側の目線で、これの何がダメかと言いますと・・・
➀1曲の中で、いつ進むかわからない
⇒高知のチームはスタートから演舞終了までどの場面でもまんべんなく進みます
➁結果、進む部分が限られているので、演舞終了時に100mに達しないチームの続出する。
⇒高知では、1曲で〇mという決まりはありませんが(目安はあるかも)、後退せず、停滞せず前進するので
その会場に合わせてチームによって曲数が変わりますし、ゴール地点に地方車が到着した段階で、曲の途中でも前の方から踊り子が抜けていきますし、1曲が終わらなくても踊り子が踊り終えたら演舞は終了します。
※ソーランが1曲毎なのに対して、高知は、1曲終わると間髪いれずに、すぐ曲が始まりますので、演舞終わ
りから連続したパレードで演舞の切れ間がありません。
また、ソーランのパレード会場は、途中で、交差点を含み、その部分は、安全面から演舞はNGという判断が、出たことも大きかったです。
※大通りへ渡る、大通りから出るという、人の通行の問題です。
そのこともあり、高知とは違い、1丁角、100mで1演舞の形式となりました。
各チームの皆さんも流し踊りの見本があったわけでもありません。
※ネットもYOUTTBEも普及していません・・・というか、ありませんでした(笑)
その結果、チームによって、本当に進行内容やスピード、ゴール地点もバラバラなので
予定時間をオーバーするチームが続出・・・。
桟敷席のスタート側にいるお客様から、
「せっかく待ってたのに、走り抜けちゃって、演舞が見れなかった。。(涙)」
なんて桟敷席担当者スタッフがご指摘を受けることも多数でした。
今となっては、初期のパレードのカタチ、やり方が浸透していない中、
そんなカオスのパレード会場を運営するのは、本当に厳しく・・・
(そりゃそうですよね、チームも運営側も初めてのことで、慣れてないのですから。。。)
北海道警察の担当者が目を光らせる中(笑)、そんな1チーム毎の臨機応変な対応が、
学生実行委員だけでは出来るわけもなく・・・。
当然、この大通りパレード会場には、責任者の五十嵐さんはじめ、桟敷席設営の会社の織田さんや
そのスタッフなど、ホントに、学生が手が回っていないところを、もう、祭りに関わる人たちが
みんな自分の担当関係なしに、成功させるために手伝い、運営をしていました。
我々、交代要員がいないものですから(苦笑)、開始したら、10時間以上、炎天下や雨に関係なく
ずっと、トイレにも食事にも行けず、一心腐乱に運営していました(苦笑)
※パレード運営が終わったら、1日で体重が3キロ落ちてたこともありました・・・
今のこの中年太りな私にとってはなんて羨ましい・・・苦笑
そして交通規制時間は、決まっているので、早く終わる分は、いいのですが、「押す(長引く)」ことは、もっての外!市内の大動脈を交通規制した手前、道警からも、遅れるなんて言語道断!な状況でした。
にもかかわらず、パレード不慣れな各チームは・・・遅れるのが当たり前。(苦笑)
・前口上長い、終わった後の挨拶長い、衣装替え含めて直すの遅いので準備に時間かかる、パレード終わりが50m付近で、100mに達しないので、だらだら移動する・・・などなど 笑
ありとあらゆる、パレード進行が遅れる要素がてんこ盛り!色んな事が起きました。
※今は、チームの皆さんにも、パレードのイメージやルールが浸透して、そんなことはなくなりました。
そんなカオスな状況の中でも、せっかく札幌まで来てくれたチームの皆さん全てに、ほんとに苦労して実現できた大通りパレードを最後まで踊ってもらいたいじゃないですか。(涙)
どうしたら、時間通り、交通規制解除前にキチンと終わらせることが出来るのか!?
当日、現場で、そんな状況に追い込まれていた我々、運営担当者は、
今となっては、ありえない裏技の数々で、困難を脱してきたのでした。
もう、今、それをやったら、チームや観客の皆さんからの苦情どころではないです・・・。
20年も前のことなので、許してください(涙)
作戦その1 スタート地点ずらし作戦
100m進めることが前提で、こちらから指示しているのにも関わらず
演舞前に、チームの責任者に
運営:「ほんとは、何m進めるの?」(笑)
責任者:「いや100m」です。※組織委員会のレギュレーションを守る意思
運営:「いや、ホントは何mなの?」
責任者:「70mくらいかなぁ・・・」
運営:「怒らないので、ホントのこと教えて」
責任者:「50mくらいしか進めません・・・涙」
なんて、コントのようなやり取りをして、足りない分はスタートラインを越えて
(演舞の距離を短くし)スタートしたりました。
※中には、パレード練習してないから、わかんないなぁというチームも!?(苦笑)
作戦その2
10丁目での2チーム同時演舞!(笑)
ほんと、今では、絶対できないのですが・・・何せ、時間が1時間単位で押してますので
Aチーム、Bチームと連なったチームのそれぞれの人数が少なかった場合に
大通りパレードの最終会場10丁目において、
2チームが同時に演舞してもらうという作戦です。
大体、10丁目は、パレード静止型で固定で踊るチームが多かったので、とれた苦肉の策でした。
※100mの間で、同時に2チームをいれ、演舞してもらうもの
➀ゴール地点にAの地方車を入れ、50m地点までで演舞
➁50m地点にBの地方車を入れ、スタート地点までで演舞
こうすることによって、演舞時間が、1チーム分、5分間、短縮できるのです。
※10丁目のお客様は、見ずらかったと思います・・・本当にご協力ありがとうございました。
作戦その3
9丁目、10丁目連動作戦「連続演舞」
7丁目までのパレードの進行状況を見て、その進みが100mまで平均的にスムーズに
進めるチームに対して、安全を確認したのちに、演舞中でも80m過ぎた時点で、
次のチームを入れるという荒業です。
100名規模のチームでない、少人数のチームの時、さらには、そのチームが、しっかり進むという
パレード進行が出来ている優秀なチームでしか、取れない作戦でした。
チーム演舞の合間を詰めることが出来るので、数分短縮するのに、非常に助かりました。
作戦その4
これが、究極なのですが・・・南北パレード入れ替え大作戦
そんなこんなの作戦を1日中行いながらも、どうしても、このままでは、1チーム分、南パレードで
交通規制の時間をオーバーする感じになっていました・・・。
南パレード担当の私、絶望にくれていたところ(これ、絶対、警察にがっちり怒られるヤツだ・・・まずい、最悪、明日、道路占有許可を出さない!と言われたらどうしよう???)
と、困っていたところ・・・・
最後の1チームが、待てども、来ないのです・・・あれ!?
その状況を見かねた、北担当の五十嵐さんが、北パレードを5分早く終わらせて、
最後の南パレードのチームを北パレードに持っていったのでした・・・・。涙
もちろん、観客の皆さんのご了承のもと⇒パレードコースの移動を全ての丁目で伝達。
もちろん、こういったイレギュラーの作戦を実行するには、該当する全てのチームの皆さんに
現場で、この状況なので、こうするんですが・・・という協力の許可をいただいています。
当時は、何もかもが初めてで、みんな大変なのもわかっていたので、チームの皆さんも協力的でした。
そして、何より、初めて大通りを止めてパレードする意味を、運営側もチーム側も理解していました。
今後大通りパレードを続けるには、決して、失敗してはならないことも・・・。
そう考えると、大通りパレード実施初期、チームの皆さんとともにお祭りを作っている感覚が
確かにありました。
今となっては、レギュレーション上も含めて、決して、やってはいけないことなのですが
パレード初期にそうやって、踊る側、運営する側が一緒になって、新会場を成功させようと
作っていったこと。
さらには、見に来てくれている観客の皆さんも、そういった現場での臨機応変対応についての
理解や応援があったことも、今の28回続く、YOSAKOIソーラン祭りにつながっているのだと思います。
失敗も反省も、今となっては、皆さんと作り上げた懐かしい思い出です。
当時の観客の皆さんにも、大変、ご迷惑をおかけしたと思います。
謹んで20年前の反省をさせていただきます。あの時は、すみませんでした。
今日も長くなってしまいました・・・すみません。
次回は、そんな、会場運営担当の私が、今でも続く、ワオドリ会場の初回責任者となったお話を!笑
ここでは、今でもとっても親しくさせていて、尊敬している祭り人で、飲み友達でもある(笑)
Mr.YOSAKOIソーランの宮本さんとのガッチリタッグを組んだキッカケの会場です。
今のワオドリ会場より、超豪華な、当初のワオドリ会場の凄さを!笑
※写真は2005年当時の大通りパレード北コース!