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私とYOSAKOIソーラン➂~表現の可能性

札幌は、一足早く冬がやってきました。毎年12月には、次年度のYOSAKOIソーラン祭りの参加募集が 始まります。

今は、チームのイベントもひと段落して、次年度のチーム組織づくり、もちろん作品作り、メンバー集め

などが始まっています。

YOSAKOIソーランのチームと言っても、沢山のカタチがあります。

よく我々、特定地域を拠点していない社会人チームを「社会人クラブチーム」と呼んでいます。

人口の多い札幌には、このようなチームが多いです。

どのジャンルのチームのカタチでもそれぞれの悩みがあると思いますが、特定の地域、団体、企業を

ベースにしない、都市部の「社会人クラブチーム」を運営することの大変さは、身に染みてわかります・・・。

特にメンバー確保において、札幌市内は人口が多いので他の地方都市よりいいと思われがちなのですが

半面、活動地域が同じという点もあり、市内を拠点とするチームも多く、ライバルが多いのです。

そのために、チームのカラーや作品、スタッフの気質によるチームの雰囲気、チームとしての活動目的や目標など、そのチームならでは!というチーム毎の差別化が必要となると思います。

そんな中、チームカラーについて、昔話をしたいと思います。

今回は、前回の最後で、書きました『衝撃を受けた2チーム』なのですが・・・

当時のYOSAKOIソーラン祭りは、平成の大合併前の北海道212市町村全部に

YOSAKOIソーランのチームを作ろう!と、学生実行員・組織員会を中心に、活動していた時期でした。

当時、学生実行員会では、積極的に、北海道各地域に実行委員を派遣し、説明会を実施、演舞指導なども

行っていました。初めて、YOSAKOIソーラン祭りに参加する市外チームには、担当の学生実行員が1名

必ずつき、市内での会場案内や祭りでの各種連絡対応をしていたことも。

そんなお祭りを広げる時期に、出会った人々、長谷川さんや組織委員会や学生実行員たち、運営にかかわる方々やメディアの皆さん、チームの皆さん、作品作りに欠かせない音楽、衣装、振付担当の皆さん、YOSAKOIソーランを好きで、自分の地域にも!と本当していた全国各地の方々、一緒に祭りを作り上げてくれたカメラマンや観客の皆さん・・・その全てが、今でも私の財産です。

そして、楽しい思い出、つらかった思い出、本当に沢山の思い出があります。

つらかった思い出も今となっては、全部が、ちょっと笑える楽しい思い出になっています。

今、考えると、あの頃は、新しい祭りを広め、試行錯誤しながら作っていった時期なのですが

当時の私は、若かったし、勢いもあったし、何よりも馬鹿だったので(笑)、その全ての過程が、

「お祭り」であったなぁと思えるくらい毎日、色んな事が起こり、それを解決するために走った日々でした・・・。

さて、当時のYOSAKOIソーランは、YOSAKOIソーランとは、何か?という形がなかった時代。

なんとなく、長半纏来てソーラン節をしっかり取り入れていれば=YOSAKOIソーランなのかな?と

いう時代でした。

そんな中、衝撃を受けた2チームとは・・・

皆さんは、YOSAKOIソーラン創成期、元祖3強と言われたチームをご存じでしょうか?

今、現在のYOSAKOIソーラン祭りの3強と参加チームから言われているチームは想像つくと思います。

「平岸天神」(最多10回大賞受賞チーム)、「新琴似天舞龍神」(史上初4連覇達成チーム)の

2つの神様(笑)に、「夢想漣えさし」(過去2連覇2回を含む5回大賞受賞)の3チームを指します。

28回の歴史中、この3チームだけで、19回、全体の3分の2も大賞を取っていますので、

そういわれるのも納得です。

元祖3強の1チーム目は、その頃から今まで変わらずに、

和風・王道・ソーラン節をしっかりとした表現力でパフォーマンスし続ける絶対王者「平岸天神」。

私の中では、YOSAKOIソーラン=平岸天神というイメージをずっと作り続けている代表チーム。

その絶対王者とともに、創成期、YOSAKOIソーランの可能性を広げてくれた2チームがあり

その2チームを加えた3チームのYOSAKOIソーランのトップチームを称して、

もともとは、3強と呼ばれていたのです。

1チーム目は、前回の話にも出てきましたが『JAL極楽とんぼ』です。

第5回のYOSAKOIソーラン大賞チーム。

私の中では、最強のエンターテイメント、ファミリーチームだと思います。

時には忍者に、時には、黄色のスーツで(笑)、時には海賊になり、

時には、背中に羽をつけ(笑)・・・ ほんとに、様々な作品、カラーで、見る人を楽しませてくれたチーム。

YOSAKOIソーラン=和風でなくてもいい、そして、若い人達だけが踊る祭りでなくていい!

という価値観を、祭りに広げてくれたチームだと思います。

JAL極楽とんぼの演舞のイメージは、ディズニーのパレード(笑)!

子どもも大人も楽しんでいて、それでいて、演舞パフォーマンスが高く唯一無二。

毎年毎年、他とは違う!楽しさを見せてくれました!

沢山の名作を作ってきたチームですが、JAL極楽とんぼが作った「sukuraポリス」という作品は、

その後、他のチームにも和風作品の可能性を広げてくれた作品であったと思います。

余談ですが、札幌吉本が出来た当時、吉本所属の極楽とんぼが、札幌吉本チームとして参加したことがありまして(笑)、その時、吉本の極楽とんぼの加藤さん(小樽出身、今となっては、スッキリMC、昔、狂犬 笑)と山本さん(油谷さん、色々あってようやく復活、笑)が、吉本の地方車の上で

「俺たちが本当の極楽とんぼだ!」と、言ったとか言わなかったとか(笑)の伝説があります(笑)

※調べると確かに、JAL極楽とんぼの結成(94年)前には、吉本の極楽とんぼは結成されてたみたい!(笑)

2チーム目は、第6回大賞受賞チーム『allacolette ?4プラ』です。

4丁目プラザという札幌大通りにあるファッションテナントビルがスポンサーになり、

エフエム北海道がプロデュースするという、それだけで、当時のカッコいいが詰まった

オシャレで都会的なチーム。

和洋折衷の雰囲気、妖艶で華やかというジャンルにおいて、他の追随を許さないチームでした。

その若者人気は凄くて、参加メンバーを募集するとオーディションをしなければならないほど。

どの作品も素敵なのですが、個人的に2000年、2001年の2作品は、YOSAKOIソーランの中でも

傑作で、いまだにファンが多いと思います。

スタジオK'BEATの本間先生の作る独特の作風、18スタジオの作る他にはない楽曲の組み合わせにも

本当に沢山のファンがいました。 YOSAKOIソーランに長く関わっていると、爆破事件により、審査が出来なかった2000年、もし審査をしていたら?との問いを受けることがあります。

私は、グランプリを獲るなら、アラコレか、山本寛斎さんプロデュース物凄いクオリティで衝撃を与えた

『ワミレス踊り子隊美翔女』のどちらかであったと答えます。

※美翔女に関しては、また別の機会に書いてみようと思います。このチームも美しさという点で

 北海道のチームの中では、貴重なチームでした。皆さん礼儀正しく美しかった・・・。

⇒この2000年は、事件もそうなのですが、思い出も多くて、一生、私の中で忘れられない濃い年と

 なっています。その辺も是非、別の機会に触れようと思います。

アラコレのスタッフの一人がその後、VOGUE038の前身チームを作ったことを考えると

このチームの影響というのも、YOSAKOIソーランでは、計り知れないものがあると思います。

そして、そのリーダーがキッカケで私が、チームに携わるようになるのですが・・・それはまた別の機会に

今の3強と当時の3強の違いは、時代の影響もあるのですが・・・

そのチームカラーの違いが大きいと思います。

現在の3強は、全てが和のカラー。そして、地域にしっかりと根差したチーム。

しかし、『JAL極楽とんぼ』『allacolette? 4プラ』の2チームは、当時、和風一辺倒だった

YOSAKOIソーランの可能性を広げてくれた2チームで、地域に根差さない社会人クラブチームで、

それぞれ企業がサポートしているチームでもありました。

音楽も衣装も、和ではなく、自由なスタイルで毎年違う。

ソーラン節がどこに入っているかさえわからない(笑)

そんな2チームが、平岸天神と同じ、YOSAKOIソーラン創世の時期に、いい意味で高いクオリティで、

ライバルとしてグランプリを競い合うことによって、YOSAKOIソーランに様々な多様性をもったチームが誕生するきっかけとなったことは間違いありません。

そして、その自由な作品作り・チームカラーの風潮が、当時、新しいもの好きの熱しやすく冷めやすい道産子気質、さらには、新たなイベントを求めていた風潮、学生実行委員の祭りを広げようという思いとともに、後に400チームを超えるお祭りへとつながっていくのでした・・・。

今現在、この2チームは、時代の流れの中で、残念ながら解散してしまいました。

地域に根差さない社会人クラブチームを運営すること。

更には、日本全体が不況に突入していく中、企業からサポートを受けて運営する企業チームを

運営することの難しさ。

今でも、同じように、社会人クラブチームで、企業からサポートを受けているチームを運営しているので

その継続の大変さを本当に痛感します。

再来年のYOSAKOIソーラン祭りは、第30回を迎えます。

1年限りで、2チームとも復活してくれないですかね?涙

いやそういうなら、ワミレスさんも、乱舞童さんも、三石さんも・・・・苦笑

個人的に、なんぼでも手伝いますので。笑

そして、当時はDVDが普及してきた時期で、今となっては、映像で見るのも難しいVHSのビデオの時代(笑)

なかなか、お目にかかることは難しいと思いますが、学生チームの作品担当者や、これからチームを作ろうと思う方が、当時の作品を見たら、ヒントは沢山あると思います。

当時、さっぽろ会場の運営で、疲れた体で、お酒目当てに(笑)西8丁目に演舞を見に行った私が、

この2チームを見て、クオリティの高さと迫力、世界感に魅了され、面白いなこの祭りは!と

実感した瞬間でした。

そして、祭り好きな人間として、運営だけでなく、チームとしていつか、参加するのも楽しいかも?と

頭をよぎったのでした。

・・・とはいっても、チームを作るまでには、そこから、数年かかるのですが・・・

それはまた別の機会に!

こうして、YOSAKOIソーラン祭りの勢いと熱さに、一広告会社の若造が、どんどんとハマり、はめられ(笑)気づけば・・・いつの間にか、組織員会の人間として、大通りパレードやワオドリソーラン会場の担当者のなってしまうのです・・・何故だ!!!笑

初期の大通りパレード会場のお話は次回に!!この辺も、今となっては、懐かしく楽しい思い出。

※写真は、今となっては、貴重な資料の一部かも?  当時は、その年ごとに、各チームの楽曲をまとめ販売されていたんですよ!


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